夢を追う力【プロになるまで:小学校編】

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2024.1.29

皆様こんにちは!営業部の大木です!

 

2024年になってから、最初の大木が担当するブログとなります!

1月下旬と遅いご挨拶となりますが、皆様、本年もよろしくお願いいたします!

 

 

新年一回目のブログは、自分の過去について振り返りたいと思います。

 

 

と言うのも、ブログで何回かお伝えしていますが、私の前職がプロサッカー選手です。

サッカー選手として、全く活躍はできず、短い寿命でのサッカー選手でしたが

プロサッカー選手という子供の頃からの夢を成就できた経験は誇ってもいいかなと。。。笑

 

 

そんな夢を成就できた経験を改めて振り返り、自分を深掘りし、自分をより知るいい機会になればと思います。

しかし、昔のことで記憶を美化してしまっている部分もあるかもしれませんので

そこはご容赦いただけますと幸いです!笑

 

 

さて、大木の昔話に入っていきたいと思いますが、

プロになるまで約14年間かかっています。なので、今回は小学生までを振り返り

それ以降は、また別のブログでお話ししたいと思います。

 

 

 

夢を自覚するまで

 

 

 

まずは、大木がサッカーをなぜ始めたか。

そんなことから話していきます。

 

と言っても、サッカーをなぜ始めたか。なんて正直なんも覚えていません。笑

 

サッカー選手時代にも、インタビュー等でここの部分は聞かれることはありましたが、

「兄の影響」でしたり「周りの友達がサッカー始めたから」と、それとない理由をつけていました。笑

 

しかし、自分はサッカー選手になる!と夢を抱いたのは

小学5年生の時だと今でもしっかり覚えています。

 

私がサッカーを習い始めたのは小学校2年生の時です。

なんとなく始めたサッカーでしたが、負けず嫌いな自分にはぴったりなスポーツでした。

 

練習でもできないことがあると悔しくて泣いたり

試合に負ければ悔しすぎてずっっと泣いていた記憶があります。

 

悔しくて泣いていると毎回父親から

「泣いてんじゃねーーー!」ってめちゃ怒られてました。。。笑(懐かし〜)

 

当時の大木は、学校の友達が遊んでいる時も、勉強している時も、サッカーの練習、プロの試合を録画して見たりと

サッカーのことばかり考えていました。(勉強はしっかりやろう。)

 

しかし、当時はまだサッカー選手になるという夢はなく

ただ誰かに負けるのが悔しく、負けたくないという思いでサッカーにひたすら打ち込んでいました。

 

そうすると、学年が上がるにつれ、同学年の試合だけでなく上級生の試合にも出させてもらい、

地元のサッカーしている子供の中でもサッカーが上手い子供までにはなっていました。

 

そして、5年生時の秋が終わる頃に、親から不意に「セレクション受けてみる?」と言われました。

セレクションとはJリーグに所属するプロサッカーチームが運営しているチームに入団する試験です。

 

プロチームが運営してるだけあって、「地元」というよりも「一都三県」からサッカー自慢の小学生が

チームに入団するべく集まってきます。

 

当時の大木は、深く考えることせず「受ける!」と言い、柏レイソルというプロサッカーチームが運営するチーム、東京ヴェルディというプロサッカーチームが運営するチームのセレクショを受けました。

 

セレクションは「1次セレクション」「2次セレクション」「3次セレクション」とあり、

セレクションが進むにつれ人数が絞られ、1次セレクションでは150人くらいいたのが、

3次セクションでは15人〜30人まで絞られます。

 

2チーム分のセレクションを受けた大木ですが、チーム分けでの運が良かったこともあり

2チームとも最終セレクションである「3次セレクション」を通過し、2チームとも合格することができました。

 

無事、2チームの入団する権利を獲得できたわけですが、

2チーム合格すると思ってなかった大木は、どっちのチームに入るかという贅沢な問題が発生しました。笑

 

両チームとも、練習に通うための交通手段は電車です。

柏にある柏レイソルは、家からおおよそ40分。

多摩市にある東京ヴェルディは家からおおよそ1時間30分。

小学校5年生で往復3時間もの移動は親としても、自分としても色々な不安があり

柏レイソルに入団しようと家族間では決まってました。

 

合格をいただいていた東京ヴェルディには、断りの電話をしました。

すると、当時担当していたコーチから直接会って話したいと言われ、後日、両親と一緒に多摩市にある練習場に行きました。

 

ここで話した内容はほぼ覚えていません。。。笑

ただ簡潔に言うと、うちでやって欲しいというものでした。

 

ただ、覚えている内容もあります。

それは、「今のチームに必要な能力がある、彼にはプロになれる能力がある。」と言うものでした。

子供ってすごい単純。当時の自分は「プロになれるんだ」って思ってました。笑

自分はこの瞬間、初めて「プロになりたい」と、明確な目的意識を持ち始めました。

 

それからと言うと、親にプロになりたいとお願いし、結果としては東京ヴェルディに入団しました。

ただ、両親としては電車で片道1時間30分、30km離れる場所まで子供一人で通えるか相当不安だったと思います。

それでも、子供の夢を信じ、背中を押してくれました。

 

現在、親となり4歳の娘をがいる大木ですが、当時の両親を考えると将来の期待と現実での不安が入り混じった感情だったのかなと思います。

そんな、夢を追う自分の背中を押し続けてくれた両親には、本当に感謝です。

 

東京ヴェルディに入団後、「負けたくない」という漠然としたものから、「東京ヴェルディでプロになる」

夢が具現化しさらにサッカー漬けの日々となりました。

 

 

 

夢を追うまでに必要なこと

 

 

 

大木の素敵な小学校サッカーライフいかがでしたでしょうか。笑

 

話が長くなりそうだと思ったので、多少端折った部分はございますが

概ね大木の小学校時代はこんな感じでした。笑

 

そして、このブログを書きながら小学校時代の大木、何が良かったか考えました。

大まかに言えば2点です!

 

 

1、負けず嫌い(今を全力)

 

本当に負けず嫌いで練習でも負けたら泣いて、泣きながら練習してました。笑

 

ですが、この負けず嫌いって大人になると理性が追いついてきて歳をとるごとになくなっていきます。

何かしらの理由を見つけ「仕方ない」「しょうがない」と自分に線引きをします。

 

夢、目標も同じです。

何かしらの理由を見つけ「仕方ない」「しょうがない」と自分の可能性に線引きをします。

 

大人になると賢くなるので、先の未来を考え、おおよその結果を視野にいれ行動します。

しかし、その分自分の未知な可能性が見えなくなり、見えた結果の分までしか頑張りません。

 

子供って先がどうとか将来がどうとかって考えるよりも「今」を生きてます。

そして、「今」という時間を頑張ることが夢や目標に近づく方法だと思っています。

 

きっと大木は他の子供より「今」という時間に全力だったのかなと思います。

 

 

2、夢を追うための環境(助力してもらう)

 

ここに関しては、不変的なこともあるのでなんとも言えませんが

大木で言えば、親の助力なくしてプロはなかったです。

 

人一人の力なんてたかが知れてます。

誰かの力無くして人は生きてはいけないものです。

だからこそ、夢を追えるまでの環境がとても重要だったなと感じています。

 

そして、我が子の将来を信じ、期待してくれたからこそ自分も追い続けられました。

 

 

 

以上が、小学校時代での大木がよかった点2点となります!

ここまでは、小学生ならどこにでもあるお話かと思ったりして書いてました。笑

 

しかし、自分が一緒にやってきたプロサッカー選手で負けず嫌いじゃない人は一人もいませんでした。

夢を成就するためには、負けず嫌いはファクターな気もしてます。

 

なので、新たな目標に向かい今年1年間、いや、今を全力で頑張りたいと思います!

 

いつか、中学校編も書いていこうと思うので、乞うご期待!!

それでは、ありがとうござました〜〜〜

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